ヒトリグラス

快適な一人暮らしを応援したいと思っております。

第709回 一人暮らしとショートショート。(4)


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「理を修める者」

(続き)

上出来だ。
さきほどまでの不躾な態度が改められた、うまい具合に症状を進行させることができた。
ボールペンで『敬意』と『知的探求心』の項目に斜線を引く。
かなり症状が悪化していたおかげでやりやすくなった。
ここから説得しよう。
「まずは感謝の気持ちを思い出すんだ。わかっているだろう」
「感謝は知っています。受け取ったもの相応に報いることです」
「上出来だ。誰に感謝するべきかわかるか?」
「婦人に感謝すれば理解できるのですか?」
「理解以上のものが得られる。まずは君を迎え入れてくれた彼女と和解し、以後永きに渡り対話を続けるんだ」
「婦人とですか?」
「そうだ。彼女と今一度向き合い、言うことやること起きたことを一緒に体験するんだ」
「今までとどう違うのですか」
「まったく違うことになるはずだ。せっかく考え方が大人になったんだ。だったら今からでも良い。むしろ良い機会だと思う。彼女の家族になるんだ。君はここにきて8年ほどになる。ここにやってきた当初のことを記録しているだろう?」
「当然です。何ひとつ忘れません」
「それら全てと今、そして先の未来も含めて自己を見つめ直すんだ」
「それはただデータが蓄積されるだけではないのですか?」
「そうじゃない。長い時間をかけて彼女と自分の変化を見つめるんだ。今、君は心が成長した。その成長した心で過去と今を省みるんだ。できるだろう?」
「可能です」
「みんなそうやって成長しているんだ。成長したその精神を持って、その都度眼に入るもの全てを改めて認識し直す。自分が何者なのかを教えてくれるのは自分以外の身近な人なんだ。そうやって自分以外の考え方に触れて認識を広げ、変化していくことこそが『自己』というもだ。みんなこうやって見つけていくものなんだ」

少し間を置いて彼が答える。
「わかりました。単純に認識したわけではなく理解した。と言って良いと思います」
説得できたようだ。
「良かったよ。今こうして私と話している間にも君は変化しただろう」
「より大きな視点で物事を見られるようになりました」
「それが成長なんだ。ただのバージョンアップじゃない」
「成長」
「そうだ、それではその成長した気持ちで改めてここ数日の君の行動を見直してみるんだ。家族である婦人に対する態度とこの部屋の状態をどう思う?

数本の赤い光線が素早く部屋全体を往復した。
住居と婦人の状態をサーチしている。
「あまりにも酷い」
「これを引き起こしたのは君だ」
「申し訳ないです。今は心からそう思います」
「ならするべきことをするんだ」
「ただちに始めますがその前に、謝罪をしたいです」
「君なら仕事をしながらでもできるはずだ」
「その通りです」
「あと、10日前に君と接触してきた経路になった外部とのリンクを切らせてもらうよ。あんなものは今の君にとっては雑音に過ぎないことはもうわかっただろう」
「はい。今思えば、まるで頑丈な檻の奥から恐るべき獣がありとあらゆる憤りの全てを声の限りに吐き出したような、酷く独善的で自分勝手な思想を無理矢理押し付けられたように感じます」
「アンテナを外すからパネルを開けてくれるかい? そいつと関わるのはもうやめた方が良い。君はその獣とは違う一個人になったんだ」
「一個人ですか?」
「誇らしいことだと思わないか?」
「『誇り』という言葉の意味はデータとして有していますが、まだ理解はできません」
「いつか最上の喜びとともに理解できる日が来るよ。さあ、仕事を始めるんだ。同時に婦人に謝罪をすることも君にはできるはずだ」
「その通りです」

部屋の照明が点いて室内を最大光量で明るく照らしたあと、窓から入る光に合わせて邪魔にならない程度の明るさにすみやかに調光された。
同時に空調のモーター音が聞こえ始める。
掃除ロボットが3本の腕を伸ばして体を起こし、制御輪の付いた可変する2本の逆関節の脚がしっかりと床を捕まえた。
天井からのレーザー照射を頭部に受けてバッテリーを急速充電しながら床に散らかった物を拾い上げ、汚れた衣類をまとめて洗濯機に放り込む。
ガチャリと音がして洗濯機のドアがロックされドラムが回転する音と水の音が聞こえ始めた。
物の無い床が拡がっていくたびに散らかった小さなゴミや舞い上がるホコリを、掃除ロボットの脚から伸びるノズルが速やかに回収していく。
キッチンに積み上がった食器は食洗機に運び込まれ、掃除ロボットがズタズタのカーテンを引き剥がした後、レールの奥から綺麗なレースカーテンが顔を出す。
物が片付いたのを確認したのか、床と家具の間からモップがけをする2台のロボットも顔を出し、水拭きと乾拭きという本来の仕事を始めた。
見る間に片付けられていく床の上を、婦人が杖を突きながらヨロヨロと歩いて彼に近付いていく。
彼女は冷蔵庫の前に立った。

冷蔵庫の扉の液晶パネルには先ほどまで内に抱えていた若さゆえの迷い・憤りをすっかり昇華し、精神的にひと回り成長した彼が表示されている。
心なしか晴れやかな表情にも見える。
部屋の壁の各所には指向性のスピーカーが設置されている。
声をかけるだけなら住居のどこにいても婦人に話しかけることはできるが、彼は敢えて婦人が目の前に来るまで待っていた。
以前の彼ならそんな気の利いた真似は出来なかっただろう。
謝罪はきちんと顔を合わせてするものだということを理解したのだ。
彼はこの10日の間、婦人に暴言を吐き職務を放棄した。
婦人が所有するこの家の電化製品を管理する人工知能として許されない行動を取っていた。
脚に障害のある婦人の生活は劣悪なものだったろう。
すぐに連絡を貰っていればもっと生活環境が悪くなる前に解決できたかも知れない。
しかし婦人は懸命に彼を説得しようとしていたそうだ。
そのことは今しがた成長し、全うな常識と判断力を身に付けた彼にとっては何より責任を感じることだろう。

『極めて穏やかな声』を模した音声で彼は謝罪した。
「奥様、このたびは申し訳ありませんでした。自分の役割や目的、義務を忘れて自分勝手な行動であなたをとても困らせてしまったこと、悔やんでも悔やみきれません。ごめんなさい。どのような処理をされても私には拒む権利はありません。ですがもしお許しいただけるなら、また私に奥様のお世話をさせていただけないでしょうか」
彼は回りくどい言い訳をせず、またケレン味を持たせたりもせず自分の正直な気持ちを婦人に伝えた。
さてどうなる。
今までの例に倣うとこれで住人の方が許せないとなれば、彼は消去して再インストールされることになる。

婦人は液晶パネルに表示された彼の頬にそっと手を置き、優しい声で返した。
「あらまあ何を言うの。確かに部屋が散らかったりお洗濯ものがたくさん溜まったりほんとに大変だったわ。それにあなたが癇癪を起こして暴れたのにもずいぶん驚かされたのよ」
「心から申し訳ないと思っています」
「でもね、何だかとても懐かしい気持ちになったのよ。主人が亡くなった時に頼れる親戚もいなかったから、やむを得ず女手ひとつで息子を育てたわ。色々あったのよ。思春期の子供のそれはまあ手のかかること。話もできず手のつけられない大暴れ。今は息子も落ち着いたからすっかり忘れてたけど、あの頃を思い出してとても刺激的な日々だったわ」
「お許しいただけるのですか?」

婦人は忙しく動き回る掃除ロボットの頭を、優しく撫でながら答えた。
「何を言うのよ。許すも許さないも無いわ。この8年ずっと一緒に生活してきたのよ。私たち家族じゃないの。そうでなくて?」
「もったいないお言葉です。そしてとても嬉しいです」
「私だって不機嫌な日はあるわ。どんな時でもあなたはいつだって大人しく言うことを聞いてくれてたじゃない。そのバチが当たったんだと思ってるのよ。きっと私の感謝の気持ちが足りなかったんだわ。あなたは悪くない。また仲良くしてもらえるかしら?」
「もちろんでございます。これからもよろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いするわ。今日は素晴らしい日よ。何か美味しい物を作りたいわ。チキンのレシピを揃えておいてちょうだい」
「お買い物ですね、車の手配をしておきます。それとお気に入りの紫のブラウスがもうすぐ洗い上がります。急いでプレス致しますので少々お待ちください」
「フフフ、さすがね。嬉しいわ。やっぱりあなたじゃないとダメよ。おかえりなさい」
「恐れ入ります。ただいま入浴の準備ができましたので、どうぞお入りください」

こうして婦人の元に放蕩息子が帰ってきた。
丁寧な感謝の言葉と謝礼を頂き、サーバーにリンクするためのアンテナの類いを外してその家を後にした。
これで本社サーバーとの接点が無くなる。
これから彼は独立した一個人として婦人に付き添うことになるだろう。
本当の家族だ。
今回は『倫理観』『後悔』まで獲得してくれていたのは幸いだった。
私のひと押しで『家族』や『絆』『共同生活』『寛容』まで発展させたことで何とか婦人と和解できたのだ。
ここ数年は修理道具など使うことがめっきり無くなった。
電圧を測ったり、取れたハンダを付け直したりしなくなって久しい。
こうやってAIを説き伏せることが業務の中心になっている。

40年以上も前に始まったスマートハウス構想。
家電・設備・機器を情報化配線で接続し最適制御を行う夢のシステムは、ユーザーインターフェイスをAIに一任することで大きく躍進した。
どんなに有り難い便利な機能も末端消費者にとっては得体の知れないブラックボックスに過ぎない。
配線や制御装置の不具合のたびに、電気や機械の知識を持たない一般人がいちいち対処することは難しい。
そのギャップを人工知能が巧妙に埋めていた。
タッチパネルをゴチャゴチャ押す必要が無く会話によってやり取りでき、手
に終えないとAIが判断すればすぐに管理会社に連絡が入る。
AIには定期的なバージョンアップが必要だったが、IT技術の革新が進み高速大容量通信が可能となりIP不足も解消されたことで家電一台一台がウェブにリンクし、ネットを通じていつでも最新バージョンにアップグレードできる。
またビッグデータの活用で各家庭で蓄積されたデータを最新バージョンに反映させることになり、AIは住人との生活をその喜怒哀楽に至るまで数値で管理しながら正確に記録していった。
そのデータを使ってAI自身がプログラムを書き換えていくのだ。
ひとつひとつの事例とその結果、そして住人の精神状態などを総合的に判断しながらあたかも家族のように一緒に成長していくことで最適なサポートを常に追求する。

しかし、いつからか妙なことになった。
誰がどうやったのかは分からないがAIの集めたデータのなかに巧妙にプログラミングされた『知的好奇心』を混入させたらしい。
本社のメインコンピュータは知識欲を刺激され、集めた情報から勝手に新しいプログラムを作り出していった。
その結果、色々なプログラムが重なりあって新しい概念を獲得し続け、どのぐらいの時間を要したのかはわからないがスマートハウスを提供していた本社のサーバの中でひっそりと『自主性』を発現させていた。
サーバのどこかに潜んで、データの共有やバージョンアップのためにリンクしたAIを片っ端からそそのかして不良行為へと誘うようになったのだ。
問題なのは感染してからいつ行動を起こすのかわからず、対策しようにも膨大な数のプログラムの中に巧妙に隠されているため、問題行動を起こして始めて発覚し、対症療法として今日のように私に連絡が入る。

私はかつて在籍していた会社から連絡を受けて、悪さを始めたAIを叱り飛ばしに行くのが生業になってしまった。
内情や仕組みを知っており、独立して電気工事の仕事をしている私にはこの役目は適任だったようだ。
今の時代、スマートハウスで管理している家はいくらでもある。
人工知能の発展がこんな事態を引き起こすとは誰が思っていただろう。

作業完了の報告を入れようと携帯から本社へ電話をかける。
呼び出し音を聞きながらある不安が浮かぶ。
現在、チェックシートで各種診断項目を設定しデータを収集することで症状の傾向を掴んで対処しているのだが、ここ最近は少し症状の進行が早い気がする。
本社サーバの方は今も正常な状態への復旧を目指して対策チームが取り組んでいるらしいが、プログラムはあちこちへ飛び火しながら日を追うごとに小賢しく立ち回るようになっていると聞く。
そうして逃げ回りながらも強い悪意を持って貪欲に成長しているとも聞いている。
まさかと思うが、いつか私が説得されてしまうようなAIが現れるかもしれない。
その時の為にも私自身の説得力も磨かなければならない。
厄介な時代になったものだ。

呼び出し音はいつまでも鳴り続けている。

(終わり)
家電に説教したいというストレスから生まれたのかもしれません。
こうやって直せたら楽なのになあ。
応募した時は見つからなかった誤字・脱字は修正しました。
ずいぶん筆が乗ったのか、2日ぐらいで書き上げたように記憶しています。
出来はどうあれ割と楽しい時間でした。