ヒトリグラス

快適な一人暮らしを応援したいと思っております。

第711回 一人暮らしとショートショート。(6)


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『認』

(続き)

情報を見ると次の訪問先であるN社には手土産が必要らしく、ナビには途中で贈答用の菓子類を入手できる店舗と今まで感触の良かった商品がいくつかリスト化されている。
一番近い菓子店に入る。
店内に入るとすぐに、棚に並んだ商品のICタグから情報が共有され3D映像と正規料金・税込み価格・会員専用の割引後価格・還元されるポイントなどがアイウェアに表示される。
さきほどリストにあった焼き菓子の詰め合わせを注文した。
カウンターで料金を告げられると、視界に支払いの認証が表示されたので「はい」と答える。
ただちに口座から引き落とされた。

菓子店を出て歩きだすとすぐにカチッと通知音がする。
もうすぐ雨が降るという警告だ。
同時に傘を入手できる店のリストも表示された。
小さな個人商店でさっきと同じようにアイウェア決済で傘を購入した。
数分ほどで小雨が降り始めたので傘を開く。
傘の内側のタグが視界に入ったせいか勝手に検索をかけて商品の情報が表示された。
チカチカとした広告が邪魔だったので手で払って非表示にする。

カチッと通知音があり同時通話の着信があった。
データ量削減のために合成音声で話しかけてきたのは、同じ部署の同僚と上司のようだ。
二人の顔写真がアイコンになって表示されている。
上司から話し始めた。
「やあ」
「お疲れさまです」
「これからN社だろう? すぐにそちらに行けない状態なので憎まれ役を頼むことになってしまったよ。すまないな」
アイウェアが数日前に同僚が起こしたミスの経緯を簡単にまとめた図を受信した。
同僚が申し訳なさそうに付け加えた。
「そういうことなんで宜しく頼むよ」
「わかりました。菓子折は先ほど買ってます。もう着きましたのでこれで失礼します」
自動的に購入した焼き菓子の画像が送られた。
「ああ、報告の方も頼むよ」

先方の会社が近づいてきたので先ほど入手した菓子折を用意して訪問した。
ロビーのソファに座って待機しているとカチッと通知音が鳴り、担当者がこちらを認識したことを伝えた。
間もなく担当者が現れた。
アイウェアに5・4・3…とカウントダウンが表示され0になったと同時に「起立」と切り替わったので指示に従い立ち上がった。
頭を下げる角度と時間の表示に従い、担当者に丁重に謝罪する。
謝罪の文言はアイウェアで事前に組み立ててあったので表示された順番に読み上げるだけだったが、会社としての誠意が通じたのか幸いにも取引そのものは問題無く継続するという形で話がまとまった。
元はと言えばちょっとした手違いから起きた取引の行き違いだったらしく、特に大きな損失も出ていないそうだ。
担当者もカンカンに怒っているというわけでもなかった。
手土産を渡して失礼させてもらった。

その後も3つの会社に売り込みの訪問をし、そのうちの1社から小さいが契約を結んでもらうことになった。
時刻は午後五時半を回ったので再び定時報告のメールを送信する。
「お疲れさまです。そのまま直帰して結構です」
と返信があったので帰宅することにした。

アイウェアには自宅までのルートが表示されている。
最寄りの駅を経由する形になるようだ。
ナビに従って歩きだした。
私鉄に十数分揺られて降りる。
ここからは徒歩だ。
しばらく歩くとカチッと通知音が鳴り、住宅地の中にある一戸建てがマーキングされた。
手入れされた庭の中を通り、玄関扉の前に立つとアイウェアに『…認証中』と表示される。
五秒ほどで認証が完了したらしく、カチッという通知音とともに目の前のドアがガチャンと解錠された。
それと同時に玄関扉が勢い良く開いた。

ガツンッと音がして目の前が真っ暗になり、激しい衝撃と共に後ろに倒れた。
ドアの向こうから現れた男性に力強く殴られたらしい。
「コイツだ! 早く捕まえろ! 泥棒め!」
男性は警察官に止められながら叫んだ。
その後ろでは男性の奥さんらしい女性もいる。
ああ、そういえばそうだった。
警察官に起こされながらやっと思い出した。
もっと早く気付かなければならなかったのに、僕はいつもこうなんだ。
僕はただの就活中の大学生だったんだ。
今日の昼過ぎに勘違いからこの男性のアイウェアを手に取ってしまった。
僕はアイウェアの盗難となりすましの容疑で連行された。

元々僕には発達障害の傾向があった。
普通に生活するぶんには問題は無いのだが、認知機能や判断力に問題があるそうだ。
今日の昼過ぎ、就活中で面接回りをしていた時に入った喫茶店で自分の伊達メガネと間違えて男性のアイウェアPCをかけた。
きっと普通の人ならここで軽く謝罪すればそれまでの話だったはずだ。
しかし、僕はアイウェアをかけた途端に目の前に表示された指示と選択肢に何の疑問も持たずにそのまま従ってしまったのだ。
自分のことながら情けない気持ちでいっぱいになる。
そのせいで半日もの間、男性のアイウェアを持ったまま行動してしまった。

相手の男性も喫茶店でただの伊達メガネだけ残されてパニックになったそうだ。
認証済みのアイウェア無しでは個人の証明もできず、自分の会社の場所どころか現在地も分からない。
連絡の手段も無く、財布も無し。
追いかけようにも清算ができなければ喫茶店を出ることもできず、警察に駆け込んでみたものの自宅の住所もハッキリと言えなかったそうだ。
公共交通機関も使えなかったため這う這うの体で自宅に帰りつき、奥さんに鍵を開けてもらい通報してもらったという散々な思いをしたらしい。
大変迷惑をかけてしまった。

後日、個人認証を済ませた状態でアイウェアを放置してしまった男性にも非があるということと暴力を振るってしまったこと、また両親にも付き添ってもらい、医師の診断書も見せて僕の事情を説明し丁重に謝罪をしてようやく被害届を取り下げてもらえることになった。
男性の会社の方では大きな損害も無く、賠償などもしなくて良いと告げられた。
おかげで前科も付かずに済み、これでまた元通り就職活動に戻れることになってひと安心した。
とはいえ自分のことながら本当に情けない。
持って生まれた性分とは言え、こんなに壊滅的に判断能力を欠いた僕を採用する企業なんて、簡単に見つかるのだろうか。
うまく採用されたとしても、そのあと普通に働いていけるのか自信が持てない。
こんな僕にどんな仕事が向いているというのだろう。
まったく先が思いやられる。

(終わり)

オチまでハッキリ決まっていたのでスムーズに書けたものの、なにぶん鳥倉本人に営業職の経験が無い為、細部の描写ができませんでした。
以上の3本が応募したものです。
身の回りが少しバタバタしたので、こんな時の為に保存しておいて良かったなあと思っています。
色々落ち着いたので、明日からはまたろくでもない事を書き飛ばすいつものブログに戻るはずです。

しかしながら、ショートショートを書くために頭を捻る日々は思っていたより楽しかったので、また何か書くかも知れません。
その時はそっ閉じ推奨です。