ヒトリグラス

快適な一人暮らしを応援したいと思っております。

第707回 一人暮らしとショートショート。(2)


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「環」
(続き)

N市が設置したこの風力発電機はまさに世界最新のモデルだ。
様々な技術が結び付いた新世代の発電機だ。
新たな素材で作られたボディは強度も高く発電効率も高い。
しかしそれだけでは無い。
本体表面がソーラーパネルで覆われており、発電効率を底上げしている。
またブレードの内部に半円型の振り子を組み込んであり、風向きや風力の変化で回転速度が変化するたびに重心が変化して回転を後押ししつつ発電もする。
強風が吹いてブレードに負担がかかれば、ショックアブソーバーの役目を果たす機構の内部で衝撃を吸収してさらにそれを電気に変える。
更に発電機本体から発する駆動音や周囲から発生する様々な「音」でも発電する。
山頂を吹き抜ける風で発電しつつ、風の音でも発電している。
更に発電機構の要であるダイナモ部分が発する熱からもエネルギーを作る。
本体そのものの熱量も上がるように発電機全体も黒を中心としたカラーリングで統一されている。
場所によっては地熱発電も兼ね備えており、タービンを回したあと吹き出した蒸気でも風車を回しその蒸気の熱も電力に変えてしまう。
熱を奪われ、液体になった水は川へと廃され川の各地で行われている水力発電の後押しになる。
海上に設置された風力発電機も同様に、海底に打ち込んだ基礎から延びる支柱に巻き付くように設置されている。
波や干満による海水面の上下とともに発電機本体も上下することでその運動をエネルギーに変えているのだ。
これは消波の効果もあり、海岸への大きな波も防いでいる。
市内の建造物にも小型の風力発電機が設置され、ビル風による発電を行っている。

そこに存在するすべての要素が様々な技術を経て「電力」というひとつのシンプルな単位に変換され蓄積されていくシステムには機能美をも感じる。
環境があり生活があることから発生する全てを、その生活を支える電力に循環させるという独立した輪。
その輪を可能な限りコンパクトにまとめるという構想は、自分のような発電オタクにとって究極的な夢のシステムと言っても良いかもしれない。

しかし、寒い。
空調が効き過ぎている。
なんだか耳鳴りと頭痛がするほど寒さを感じる。
今日は言い訳のしようも無いほどの真夏日で、今朝出社する際に確認した予想最高気温は35℃を越えていたというのに車内は肌寒いというより寒い。
余った電力をクーラーに回しすぎているのだろうか。
N市が出資・運営する鉄道会社に所属するこの車両は、当然回生ブレーキを使用しているはずだ。
「減速したらもっと寒くなるかもしれないな」と職場の同僚でも今さら言わないような発電ジョークを呟いた。

ふとタッチパネルを操作して、今乗っている車両の情報を検索してみる。
表示されたページをざっと見渡してみて「なるほど」と声が漏れた。
納得だ。
想像していたように減速による発電もしているが、車両が受ける熱・発する熱や音・振動からも発電しているのだ。
つまり車体が受ける陽射しからも発電しているが、駆動部分から発する熱や車輪が受ける摩擦・揺れの吸収による衝撃・走行音などからもエネルギーを産み出しているようだ。

この車内の寒さもそうだが、車輪が線路の継ぎ目を踏む音もモーター音も聞こえなければ車両が左右に揺れるような感覚も受けない。
外から受けるものと中から発生するもの全てが電力に変わっている。
この車両もN市の最新型風力発電機のようにエネルギーのコンパクトな循環に成功している例なのだろう。

タッチパネルを操作して表示されているページの情報を自分の端末と共有しながら、到着までの残り時間を見るとちょうど3分を切ったところだった。
そろそろか。
荷物をまとめようと立ち上がったついでに車内を見回し面食らった。

満席ではないが想像していたよりもずっと乗客が多かったのだ。
自分のような正にこれから仕事といった風体の人種はほとんどおらず、観光目的であろう家族連れで客席は半分以上埋まっている。
ああ、そうか。
車内で乗客が発する音や温度でも発電しているのか。
まるで自分一人しか乗っていないとさえ思えるほど、人の気配を感じなかった。
よく考えれば観光シーズンの今、乗客が自分一人などということはありえない。
しかし、この人数をしてもよく効いている空調には関心した。
これも何か効率の良い技術がいくつも組み合わさった代物なのかもしれない。

そんなことを考えているうちに駅に到着した。
列車は音も減速感も無いままホームに滑り込み、停止位置にピタリと停まった。
荷物を抱えて乗降口に行くと目の前で音も無くドアがスライドし、落ち着いた色調でまとめられた駅構内が見えた。
ホームに降り立つ。
「うん?」
その瞬間、わずかに不思議な感覚を覚えた。
しかし、その違和感の正体を突き止める前に列車から他の乗客が吐き出されてきた。
止むを得ず、人の流れに乗って歩き出すことにする。

寒い。
やはり空調がよく効いている。
市全体で電力が余っているのだろうか。
そして静かだ。
構内には他に乗降客がたくさんいるにも関わらず「喧騒」を感じない。
立ち話をしているらしい人や駅員と何か話をしている人、携帯電話で通話中の人も目に入るのだが、声も足音もまったく聞こえてこない。
兄弟だろうか、小さな子どもがじゃれ合っているのも見えるが声など何一つ聞こえない。
まるで多重ガラスで遮られた部屋か無声映画の1シーンのように音だけがすっぽりと抜け落ちている。
普通なら話の内容まではわからなくとも、何かやり取りしているらしい声は聞こえてくるはずだ。
そうか。
ここでも床や壁・柱を使って、音や振動から発電をしているのだ。
停車している列車からも何の駆動音も聞こえない。
時折、ホームから発車のベルや視覚障害者のための誘導チャイムと自動アナウンスがほぼ無音の構内に申し訳なさそうに響いている。
列車が動いても風さえ感じない。

ここで私は漸く、電車から降りた時の違和感の正体に気が付いた。
歩いている自分の足音が聞こえないのだ。
硬い床に着地しているはずの足にほとんど衝撃が返ってこない。
ゴム製のマットの上を歩いているような感覚だ。
今まさにこの床も着実に私という存在からエネルギーを得ている。
自分の中の何かを吸い取られているようにさえ感じる。
落ち着かない足元に違和感を覚えながらも足を進め、音も抵抗感も無く切符を吸い込む自動改札機を通り抜ける。
駅前広場への出口が見える。

私は強い不安を覚えて立ち止まってしまった。

発電をするということはエネルギーの種類を電気という別の形に変えることだ。
発生したエネルギーが大きければ発生する電力も大きい。
そして電力が発生したということは最初のエネルギーは消費され、同等以下の量の電力に置き換わって蓄電池に回収される。

そうだ。
エネルギーは消費、いや消滅させられたのだ。

さきほど乗った電車。
寒く、音もせず、人の熱も感じないエネルギーの消滅した車内だった。
自分に対して何も働きかけも無く、影響を与えようとしない環境だ。
宇宙空間に放り出されたら、あんな感覚なのかもしれないと思えるほど異質な空間だった。
駅構内も同様だ。
それではこれからあのゲートを抜けて出た街はどうなのだろうか。

街に当然あるはずの騒音や振動・熱はすべて電力に変えられて蓄電池に吸い込まれてしまう。
人工が密集することで起こるヒートアイランド現象も、エネルギーに貪欲なN市にかかればかっこうのエネルギー源だろう。
加えて地熱からも発電している。
列車内や駅構内が寒いのはそもそも空調の効きすぎなどではなく、気温や土地全体でN市全体の熱量が低いのではないのか。
夏という季節そのものが電力にされているのだ。

音や振動が無いことも気にかかる。
以前、関連会社で無響室という設備を使わせてもらったことがある。
壁面に特殊な処理が施してあり、音の反響がまったく無い部屋だ。
部屋に入ってすぐにはどうということはないが、数分すると身の回りから音がしないことに違和感を覚える。
しかし時間が経つにつれて耳鳴りがし始め、全身の肌が言葉にできないストレスを訴え始める。
通常、何も無い部屋でもまったく無音ということはない。
自分の動作から発生する音が反響して聞こえたり、身体に感じたりするものだ。
普通に生活していれば気にならなかった生活音の一切が急に遮断されることで強い不安を覚え、最後には気分が悪くなってしまう。

今思えば列車内はまさにそんな雰囲気だった。
N市内はどうなっているのだろう。
海・山・川・市内各地で世界最高効率の発電をしているN市の街には風も波も起きないのではないか。
人の気配も風の動きも音も熱も感じない街。
地熱も吸い上げ、生活音も体温も廃棄熱も電力に変えていく。
N市にあるものはすべて並べたドミノのように、蓄電器に繋がる大きな流れのひとつの通過点に過ぎない。
ここでは循環するべき輪がほどけ、ただの一本の線になって大きな穴に全て引きずりこまれている。
本来、人の生活に寄り添っていたはずの小さな輪を強引に引き伸ばしてしまったせいで却って人の生活の輪を小さく押し込めてしまっているのではないのか。

目の前には駅前広場に出るゲートがある。
ゲートの向こうはひどく薄暗く、音も気配も感じない。
それに中央広場に大きな吹き抜けのある駅だというのに、外からは風ひとつ吹いてこない。
自動車が行き交う音も市民のざわめきもない。
まるであの向こう側に何も存在していないかのようにさえ思える。

駅員でも乗降客でも良い。
誰か不安で立ち止まっている私を追い抜いてくれないだろうか。
視界に入ってくれないだろうか。
発車のベルでも呼び出し音でもいい。
赤ちゃんの泣き声でも誰かのくしゃみでも、携帯の着信でも時計のアラームでも構わない。
誰でも何でも良いから、気持ちを切り替えて歩き始めるきっかけをくれないだろうか。

(終わり)

これが応募のために書いたひとつ目。
ごちゃごちゃ説明してモヤモヤしながら逃げるようにさっさと終わる。
どこかパッとしないのは読み物としての何かが欠落しているからだと思います。
素人が急に始めたらこんなものなのでしょう。
書いている間も、あっちを直せばこっちとぶつかり全部直したつもりで読み直してみたらやっぱりおかしいの繰り返しで、良い頭の体操になりました。
3本応募したのでまだあと2つもあるんです。