ヒトリグラス

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第706回 一人暮らしとショートショート。(1)


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「環」

8月中旬。
天気は晴れ。
時刻は正午を少し回ったところ。
海岸沿いの高架を走る電車は、特別揺れることも無く静かにN市へと向かっている。
車窓から見える海は夏の日差しを静かな車内に投げ込んでくる。
沖にはかなりの台数の風力発電機が一定の間隔を置いて立ち並び、海風を受けてゆっくりと回転している。

車内は少し空調が効きすぎているのだろうか。
風が直接当たるわけでもないのに寒い。
上着を着直す。
席に備え付けられたタッチパネルの片隅にはN市到着までの残り時間が秒単位で表示され、規則正しくカウントダウンしていた。
私はタッチパネルを操作してインフォメーションを見ながら、昔見たN市の風景を思い出す。

N市には10年以上前に観光で訪れたことがある。
それだけ歳月を跨げば町並みは当然変わっているのが当たり前だが、現在のN市にはそれ以上の変化が起こっている。

人口60万人を少し超える、所謂「政令指定都市」であるN市は5年前に市政の方針転換により都市計画を見直した。
リサイクル・再利用・再生可能エネルギーを中心とした省エネ・循環型社会のモデルケースとなるべく関連企業を誘致し、規制緩和や優遇措置・行政指導などを駆使し「スーパースマートシティ宣言」を掲げて大改革を行った。
N市は市北部に山脈を有し、ダムから延びる一級河川が市の中央を通り7つの橋を越えて海まで届いている。
山側にも海側にも温泉が湧いており、地熱による発電も行っている。
さまざまな環境対策やエネルギー技術を受け入れるのに良好な立地条件だ。

私はある企業の技術開発部門で発電・省エネ技術の研究職に就いている。
私が開発のほぼ全てに携わった新型樹脂を使った回路基盤の製造特許にN市が興味を持ったとのことで、かなりまとまった数の商談と仕様の説明のために是非にと招待されたのだ。

基盤の開発には数年かかった。
まずは樹脂そのものを開発する必要があったからだ。
従来のプリント基盤とは根本的に製造方法が違う。
通電する樹脂・しない樹脂の2種類に加えて、温度変化によって通電・非通電が切り替わる特殊な樹脂とその変化する温度を製造段階で調節するという技術を開発した。
このことは将来的に電子機器の製造現場を大きく変えることになるだろう。

3Dプリンターで上記の3種類を使い分けることで複雑な基盤をひとつの頑丈な樹脂の塊として製造できる。
回路そのものを3次元的な構造で組み合わせ、2つの面から熱を放射してピンポイントで温度を上昇させ通電と遮断を切り替える。
熱センサーや専用の回路を省いた上でいくつもの機能をひとつにまとめ、高い強度を持った構造体として機器に組み込むことができるのだ。

今回N市から声がかかったのもこの発明を買われたというのが最たる理由だ。
しかしこうした招待が無くても自分の専門分野で最先端を追求するN市にはいつか訪れたいと思っていた。

N市は資源化物のリサイクルなども力を入れているが、私が興味があるのはやはり発電だ。
今日、現代人の暮らす社会は電力無くしては存在し得ないといっても良い。
少なくとも発電技術を20年以上も研究してきた私はそう思っている。
光熱の類いに留まらず、通信・運輸・ガスや水道なども電力無しには成り立たないだろう。
ライフラインのほぼ全ての基盤は電力なのだ。
現代社会は電気が支えている。
発電はどんなに些細な技術でも積み重ねれば必ず効果があり、省エネは発電の効率を底上げする重要な要素でもある。
小さな発見や発明でも必ず社会の発展に貢献できる。
そう誇りを持って働けるようになってきたのもここ数年だ。
ぜひともN市の発展ぶりを、現地でしっかりと見ておきたい。

パネルに表示された残り時間が30分を切った。
ゆっくりと流れていく海を見ながら駅で買った缶コーヒーを開ける。
パキッと軽い音がする。
スチールやアルミの缶の飲料はずいぶんと減った。
強度や柔軟性があり再生可能な樹脂を使った容器だ。
これを再利用するためのエネルギーがかかるが、その際に発生する熱や重量の変化などを使って新たに発電するという技術もある。

発電は火力・水力・風力・原子力などの基本的な技術に始まり、ソーラー発電や地熱発電・潮力発電などを経て更なる発展を遂げた。

例えば振動だ。

圧電素子を利用したパネルで、駅などの人通りの多い床に設置しておくだけでたくさんの乗降客が踏みつけて電気を起こす。
ただ人が通るだけで発電できるのだ。
車道に用いれば自動車が通過するだけでエネルギーに変わる。
このパネルを更に発展させることで「音」で発電する技術も作られた。
シート状に加工して壁に貼っておくだけで音から電力を生み出し、加えて騒音などの軽減にも一役買っている。

また、人が持っている微弱な静電気を受けて発電する技術もある。
手すりなどに設置しておくだけで電力を得られる。
当初は微量だったが技術開発が進み、より多くの電力に変わるようになった。
素材の進歩とともに衣服に使用して、着用しているだけで発電できるものもある。

熱電変換素子を用いた発電もある。
温度差が電気を生む。
経済活動に限らず気象などの自然現象でも熱は発生する。
その熱をエネルギーに変えるのだ。

大昔からある技術でも革新が続くこともある。
機械式の腕時計には振り子の原理を応用した発電が組み込まれている。
手首に装着して生活するだけで腕時計の内部で半円形の部品が動き、その力をエネルギーに変える。
元々はゼンマイを巻き上げる機構だったが、後にそれがバッテリーに置き換わった。
装着して歩いているだけで発電し充電する。

電車は相も変わらず静かに走り、少し前から海沿いを離れて林に両側を囲まれていたが、ふいに景色がさっと開けた。
橋を渡っている。
海に最も近い大きな橋だ。
かなり大きい。
架台の枕バネが高性能なのか大きな振動も揺れも無く、線路の継ぎ目を拾う音も聞こえてこない。
反対側の車窓から川の上流を見れば遠くに山が見える。
山頂では大小いくつもの黒い風力発電機がゆっくりとブレードを回転させている。

技術は他の技術と出会うことでも発展する。
丈夫な素材が開発されれば、発電機の構造体を置き換えることでより発電効率が上がる。
加工しやすく柔軟な素材が開発されれば、発電に使うスペースを増やせる。
薄いシート型や柔軟な素材が開発されれば用途が拡がる。
蓄電池も同様に軽く丈夫、そして柔軟であればどのような場所にでも設置できる。
今回、私が開発した樹脂回路の技術も必ず役立てるはずだ。
(続く)

以前、こちらで申し上げましたショートショート作品です。
一人暮らしと仕事の覚え方。(43) - ヒトリグラス
無事に選考を通らなかったのと私事が少しバタついてきたので、少しの間の第4回日経「星新一賞」応募作品で更新しようと思います。
何ヵ月も前に書いたとはいえ読み直してみると、本筋から外れたどうでもよいことを無駄に掘り下げて文字数を稼いだり、必死で難しそうな単語を使ったりと小賢しい悪あがきが微笑ましいです。
しばしお目汚しです。